子育て体験記:心理的安全性をもたらすパパへの旅(シニアコンサルタント齋藤正幸)

はじめに

先日、PFCで「チームマネジメントには欠かせない!心理的安全性の作り方」をテーマにしたセミナーが実施され、100名近くのクライアントが参加されました。激しい環境変化が巻き起こり、正解のない時代だからこそ、さまざまな視点から率直な意見を対話し、変化を恐れず挑戦し、そこからの失敗や実践から学べるようなチーム作りが必要な時代だからこそ、誰もが、上司・部下・同僚関係なく意見や素朴な質問、違和感をいつでも言える心理的安全性が組織には必要だと感じている企業が多いのだと考えられます。

そして、その言葉の定義は組織に浸透しているが、分かっちゃいるけど・・・実際に実践出来ていないことが課題である組織の方が多いのではないでしょうか。(「分かる」と「出来る」は別ものですからね)。

私自身、研修でお伝えしていることは(効果的に出来ている・出来ていないは別として)、可能な限り実践するように意識しています。そこで、改めて心理的安全性に関して自身を振り返ってみました。一番身近なチーム、「家族」の中で(特に2人の娘(7歳ともうすぐ9歳)への対応)、心理的安全性を醸成出来ているのか??

今回は、心理的安全性をテーマとした私の子育て失敗談を皆さんにお伝えしたいと思います。何かの参考になれば幸いです。

長女の一言「どうせ言うと怒るじゃん!!!」

まず振り返ったのは、私自身が心理的安全性を家族にもたらすリーダーになっているかだ。残念ながら「否」である。ある週末、長女が何か言いたそうにモジモジしながら私の方に近づいてきた。なかなか言い出さない娘に少し苛立ちを感じ、「どーした?何か言いたいことがあれば言っていいよ」と私としてはソフトに言ってみたところ、私にとって衝撃的な回答が返ってきた。「でも、どうせ、言ったらおこるじゃん。パパ、いつもそーじゃん」・・・。別の日には、次女の話していることに対して、私としては良かれと思って「だったら、○○したらいいんじゃないの?」と言ったところ、バシッと一言「最後まで話を聴いてからいって!まだ途中なの!いつも、そー」・・・。研修で、心理的安全性をもたらしましょうと言っている自分が恥ずかしくなり、子供との会話の中でさえ、全然、自分も出来ていないことを認識した瞬間だった。

私の家族では、常に「考えろ・考えろ、そして動け」を口癖にしている。まさに、今、私自身が、『心理的安全性をもたらすパパ』になる為に「考えろ」そして「動け」を実践しなければいけない状態になった。

心理的安全性をもたらすパパになる為の旅が始まった

まずは、改めて心理的安全性とは何か、それをもたらす為に、私はパパとして何をすべきか。そのヒントを得る為に、いくつかの書籍や記事を読んでみた。そこで、石井遼介さん著書の「心理的安全性のつくりかた」から得た、4つのポイントをベースに旅を始めることにした。石井さん達の研究チームでは、日本の組織に適した下記4つの状態を目指すことにより心理的安全性に近づけると言っている。

①話しやすさ  ②助け合い  ③挑戦  ④新奇歓迎
この4つが組織に(私の場合は家族の中に)存在する状態である時に、心理的安全性が感じられるとのこと。これから、一つずつ家庭の状況を現状把握し、何が出来るかを考え・行動に移していく私の旅が始まる。

①話しやすさ:まずは非言語メッセージ「パパ機嫌悪い?

1つ目の「話しやすさ」とは、何を言っても大丈夫の状態を目指すことである。職場のメンバーからは、話易いとのフィードバックを得ることが多いのですが、上述にて記載した通り、娘達は、恐る恐る話していいか否かパパの顔色を観ている・・・。娘に対して本当に申し訳ない状態を作ってしまっている。職場と家庭での、私の行動の違いは何か?そのヒントが次女のコメントの中にあった。ある日の夕方、お仕事でクタクタの中、夕飯の支度をする為にお皿洗いをしていた(妻も働いており、その日は、プロジェクトが立て込み帰りが遅いことが分かっていたので、私が料理当番だった)。そんな中、学童から帰宅した次女が首をすくめて小さい声で一言。「パパ、機嫌悪い・・・?」。なるほど、私の心の叫び(「疲れたー、めんどうくさい、皿洗いやだなー 等など」)が、顔の表情から漏れていたのだった。改めて振り返ってみると、家庭で私自身がニコニコしている時間が少ないことに気づいた。早くご飯食べろー、宿題終わったかー、TV観ていないで風呂入れー等など、今思うと、早く子供たちを寝かしつけて、自分の自由な時間を作りたいことを目的として指示ばかりしていた自分がいた。その為、少しでも娘たちが動かないと、厳しい顔で怒るわけである「風呂は入れー(怒)」と。

余談ですが、四本裕子さん監修の「脳のなかのびっくり辞典」で、恐怖体験はなかなか忘れられなと書いてあった。脳は同じ危険を回避するように防衛本能が働いているとのこと。次女が、同じ恐怖を味わいたくないから「機嫌悪い?」と確認してきた。つまり、私の厳しい顔が娘たちの脳に防衛本能として残っていると思うとパパとして悲しくなってきた。

まずは、厳しい・怖い顔をやめて、穏やかな表情を意識しよう。その為には、利己的な目的ではなく(私の場合は、自分が早くリラックスしたいという目的)、娘たちが楽しいと思える雰囲気をつくることを目的として対話するように試みた。

まだ、はじめたばかりではあるが、子供の学校の話に「いいねー。楽しそー。パパもやりたい」とか、娘と一緒に鼻歌を歌うなど、娘達にベクトルを向けることで、私自身も楽しくなってきて自然に笑顔になっているなと、少しずつ感じるようになってきた?かな?

先日も、スーパームーンの皆既月食を娘たちと一緒にマンションの屋上で観る余裕が出来た(今までであれば、お風呂の時間なので、たぶん、「風呂入れ-」で終わっていたと思う)。残念ながら、今回は、雲に覆われて皆既月食を観ることは出来なかったが、長女が、「しょーがないよ、パパ。次にまた、一緒に観に来ればいいじゃん♪」と笑顔でポジティブなコメントを言ってくれたことが嬉しく感じた瞬間だった。そして、対話のベクトルを相手(娘達)に向けることの重要性を改めて感じた。

②助け合い:「いい子だね」は、いい褒め言葉ではない

2つ目は、助け合いである。困った時はお互い様の雰囲気を作ることである。

そもそも、私は娘たちを助けるどころか、娘達の成長に蓋をするような言動をしていないだろうか?振り返りの為に、改めて、尾木直樹さんの「尾木ママの子どもを伸ばす言葉、ダメにする言葉」を読み返してみた。ドキッとしたポイントが2つあった。1つ目は、「「早くしなさい」「やめなさい」は口が裂けても言わない」である。「人を待たせるな。さっさと動け、早くしろ!!」と今朝も次女へ言ってしまっていた。もちろん、時間内に間に合わせることは必要だと思うが、一方で、競争主義的、効率主義的な価値観であることも注意しなければならないと同書では言っている。つまり、子供を急がせることは、自主性や自分で考える機会・習慣を奪うことになりかねないということだ。2つ目のドキッとポイントは、「「いい子だね」は、いい褒め言葉ではない」と言うこと。「いい子」の定義は大人の(今回は、パパの)価値基準を土台にした褒め言葉になっている為、本当に褒めた事にはならないとのこと。子供は進んで大人からみたいい子になろうと努めます。つまり、素の自分に蓋をしていい子を演じる。本当の自分といい子を演じ分けている自分のギャップに苦しむようになる。この2つのドキッとポイントは、子供を助けているどころか、娘たちにとって窮屈なパーソナリティーを押し付けているに他ならないと猛省した・・・。今後は、娘の成長を認めた上で、事実に基づいて褒めるように意識して行きたいと思う。

また、哲学者の今道友信さんは、「人生の贈り物」の中でこんなことを書いている。「人間が人間に贈る最大の贈り物、それは『よい思い出』です。どれほど立派な品物でも、いつかは壊れます。壊れなくても色が褪せてしまいます。でも、良い思い出は一生かわることはありません。壊れることもなければ色褪せることもない。一生続きます。そしてそれを君が語り継いでいけば、その次の世代の心にも残るでしょう。中略・・よい思い出を人に与えるような人間になりなさい」

今週末は、何も予定がないので、家族みんなで、音楽でも流しながら手巻き寿司パーティーでもしようかなと思いをはせてしまった。少しでも娘たちの心の助けになるように楽しい家族づくりを試みたいと思う。(本当は、外出して、めーいっぱい皆で体を動かしたいところではあるのですが・・・) 最後に、幸せホルモンの一つであるオキシトシンは、気の許せる相手との触れ合いで分泌される物質である。娘たちが幸せな気持ちになるように、そして、今日という日がよい思い出となるように、寝る前のハグの習慣は引き続き行おうと再度心に決めた。そして、その行動は、私にとっても幸せな気持ちになる。これこそ、まさに、家族だからこその「助け合い」の瞬間である。

③挑戦:「べき論」と「怒鳴り」のスパイラルから脱出せよ

3つ目は挑戦。とりあえずやってみよう感をつくり出すことが重要である。常に、やりたいことがあれば、(人に迷惑をかけなければ)何でもやっていいよと言っているので、体を動かすことに関しては、年齢のわりに他の子どもたちがやらないようなことをチャレンジしているなと感じることはある。一方で、物事を正しくやることに意識が行きすぎていて発想力が乏しいかなとパパ目線では感じることがある。なぜだろうと振り返ってみた時に、その原因の一つは、私の行動にあると気が付いた。

それは、「べき論」をもとに子供と話していること。自分で色々と考えていいよと口では言っている一方で、何かにつけて「こうやったらいいよ」「普通は、こう考えるけどね」「パパはそうじゃないと思うな」など、私の考えを押し付けて、娘の思考の邪魔をしていることがしばしばあった。例えば、一緒に長女とTVゲームをしている際に、私はすぐに「違う違う、まずはこのアイテムを取ってから、この街に行かないとだめだから、戻れよー」と自分がクリアしてきた道順で進むべきだと思い込みアドバイスしてしまう。娘からは、「いーじゃん別に。好きなようにやらしてよ」と反論、負けじと私も、「いやいや敵に負けちゃうよ」・・・。この様に、どうしても自分がやってきた道筋が正しいと頑固になっていることが多く、それを娘に頻繁に押し付けていた(または指示していた)。

ちなみに、TVゲームですが、娘のやり方の方が効率的だったことの方が多かった・・・悔しい現実だ。

尚、べき論の弊害はそれだけではない。私の思う「べき論」に対して娘たちの行動が出来ていないと、カッとなって怒鳴ってしまうこともある。私の友人達からは、ちょっとしたことで怒り過ぎじゃない?とフィードバックをもらったこともある程だ。

「心理的安全性のつくりかた」にも、怒鳴っても、怒鳴られた人はそれに慣れてくるので、また一段上の怒鳴り方をする必要が出てくると記載がある。思い当たる節がある。確かに、最近、怒鳴るボリュームが大きくなってきた気がする。なぜならば、娘たちも、ちょっとした怒鳴りなら動じなくなってきたのだ。そして、実は、厳しく怒鳴っても、娘の行動を制限するだけで(要は挑戦しなくなる)、誰にとっても得がないとの記載もあった。あえて得していることを記述するなら、怒鳴ったパパが、大声出せて気持ちよかったとストレス発散にしかなっていない。完全に自己中なパパである・・・。これでは、娘たちが自ら挑戦し、発想力を促す環境をつくり出せるはずもなかった。

結局、子供が考えない、発想力が乏しい、言われたことしかやらない 等の原因は、親の行動がその原因の一つになっていると改めて感じた・・・研修で管理職の方々に、皆さんの行動が部下の行動に影響を与えているからこそ、自身のリーダーシップを見直してくださいねと伝えている私も見直せよという話だった。とほほ。 これからは、まずは娘たちの考えを聴くこと、そして、自由にやらせることを意識したいと思っている。また、イラっとした時は、深呼吸して5~6秒時間を置くことで冷静になれるので、こちらも実践するのみである。妻の言葉を借りれば「目をつむって、菩薩になりなさい。菩薩の境地にならないとね」。なるほどである。仏教の教えの一つに「こだわるな」がある。「こだわる」とは、他人から見ればどうでもいい些細なことに心がとらわれてしまい、そのことに関していつまでも気にし続けている状態のことを言う。菩薩になれるかな・・・。

④新奇歓迎:君は君のままでいいfrom文部科学省

4つ目は、新奇歓迎。つまり、色々な能力を受け入れようの状態を作ることだ。家族に当てはめると、娘の「らしさ」を受け入れて、色々な考えやものの観方を引き出すことが出来ているかを振り返りポイントにしてみた。妻とは、娘たちの特徴に関してはよく話をする。特に、どの様な行動がパパ似・ママ似なのかを対話するのである。二人とも家ではよくしゃべる、これはパパ似だね、お家と外では態度が違うね、これはママ似だ等。娘達の行動を観察して強みや何に不安や不満を感じるのかはそれなりに把握できていると思っている。一方で、③挑戦でも記載した通り「べき論」で「パパの思い通りの子になりなさいコミュニケーション」をやめて行かなければと危機感を感じている。私達夫婦は、娘たちに自分たちのコピーになってもらいたい訳でもなく、また、自分たちの夢を託そうとも思っていない。娘達には、自分の人生を好きなように歩んで欲しいと思っている。

だからこそ、娘たちがやりたい事や自分らしさを上手に活用出来るように、何でも話を聴ける・相談されるパパになれる様に4つのポイントを改めて意識しなければと感じている。

ちょうどこの記事を書いている時に、学校からの連絡プリントを長女から渡された。それは、文部科学省からの連絡だった。内容は、コロナ禍において児童生徒の自殺者数が大きく増加していること、そして、長期休業明け(GW明け)も同じ傾向にある。その為、保護者や学校関係者、地域の皆さんにおかれましては、子供達と向き合い、話を聴く、話し合いをする時間を積極的に取って頂くようにとのお願いだった。そこには、相談窓口PR動画「君は君のままでいい」も同時に記載されていた。15秒の動画だが、「周りのスピードについていけない」「動けなくなる、僕」「相談して何が変わる」「認められたい」のメッセージを織り込み、何かあればいつでも相談してくださいと締めくくられる。

新奇歓迎・自分らしくどころか、存在認識まで希薄になっている・・・。うちは大丈夫だろうか??

家庭内で、仕事のことを考えながら上の空で娘の話を聴いていないか?話を遮らず最後まで聴き尽くしているのか?「らしさ」を受け入れる以前に、一人の人間として尊重し、接しているのだろうか? 組織の場合は、最悪、会社から逃げればいい。一方で、子供たちは、自分で自分を養えないから簡単には家庭からは逃げられない。改めて心理的安全性をもたらすべくパパの行動が重要だと熱く熱く感じた。

最後に:心理的柔軟性を有したパパを目指す

石井さんが慶應義塾大学システムデザイン・マネジメント研究所と共に実施してきた研究結果では、チームの心理的安全性にとって、リーダーや、そのメンバー一人ひとりの心理的柔軟性が重要だと言っている。特にリーダーが心理的柔軟だと、チームの学習が大きく促進されるとのこと。同感である。私は、SLII®(メンバーの状況に応じてリーダーシップ行動を柔軟に変え、メンバーの成長を効果的に促すリーダーシップの考え方とそのHow toを学ぶプログラム)のマスタートレーナーを行っている。そのプログラムの中で、まさに同じことをメッセージとして伝えている。この行動さえしていればOKではない。状況・文脈によって言動を変えていく柔軟性がリーダーとして必須になってくると。

パパとして、その柔軟性を有しているのか?今回、自身の振り返りを再読して、私は、自分の思考の枠に娘達をはめようとしていたことに気が付いた。ゆえに、心理的安全性が確保されず、娘たちが私の顔色を観ながら話を切り出すか否かを忖度する場面を多数つくってしまっていた。 開き直るわけでは無いが、我が家は失敗をポジティブにとらえ、トライ&エラーを重んじるようにしている。今回の私の反省・改善点を娘達に率直に謝るとともに、少なくとも、今回、記載した実行すべきことは、今から行動に移したいと思う。心理的安全性をもたらす為に、心理的柔軟性を有したパパになる旅はまだまだ続きそうだ。

シニア・コンサルタント 齋藤 正幸