人と組織のニューノーマル(新常態) ~Withウイルス時代の組織開発・人材開発の論点1

序章はこちら

第1章:新時代の組織開発の着眼点

リモートワークの成否は両極端

 企業の組織運営において、この数か月間に私達が経験した大きな変化で、新時代に常態化するであろうことの一つは、間違いなくリモートワーク(の進展)だ。

 リモートワークそのものの目指すべき姿については、「Covid-19を契機にこのままどんどん進めるべき」という考えも、「一時的なものに過ぎず、いずれ戻すべき」という考えも、現時点では両方ある。新時代のリモートワークの目指すべき姿は、結論としては「ハイブリッド」ということになるだろうと私達は考えている。リモートとリアルの組み合わせ方やそのバランスなどについての考察は、いずれ示したいと思う。

 しかし、新時代を見通すために、ここでしておくべきは、いきなり目指すべき姿を構想することではなく、まずこの数か月間の“振り返り”だ。

 多くの企業が導入したリモートワークシフトで、「全く問題ない(今まで会社に行っていたのが信じられない!)」という声も、「全くうまくいかない(早く元に戻らないと仕事にならない!)」という声も両方聞いた。これだけ両極端の反応が起きていた事実は大変興味深い。

もちろん、職種や業務がリモートワークに向くか向かないか、マッチングの問題は無視できないだろう。また、リモートワークへの慣れ、あるいはその進め方の巧拙など、リモートワーク自体の要因によって左右される点も大いにあるだろう。しかし、新時代の組織開発を考察するにあたって、ここで立ち止まって焦点をあてておくべき対象は、“組織そのもの”だ。

 この間、どのような組織であればリモートワークが機能して、どのような組織であれば機能しなかったのかを考察しておくことで、新時代の組織づくりのあり方にヒントを得たい。

成否を分けたのは、まずは個人の環境による差

 組織を考える前に、ひとつ、切り分けて整理しておきたいことがある。リモートワークが機能する(した)個人/機能しない(しなかった)個人についてだ。
 これは実は、リモートワークをする個人が置かれた状況によって説明がつくと考えられる。
個人が置かれた状況というのは、2つの軸に分解できる。「家の環境」と、「(小さい)子供の有無」だ。
家の環境というのは、PCやWIFI環境がどの程度整っているかどうかから始まり、長時間座っていても疲れない椅子があるかどうかなどまで、多岐にわたる。“仕事をする”ことが目的のオフィスであれば当たり前に整備されていたことが、家ではどこまで整備されていたかが、リモートワークが機能するかどうかを大きく左右した。特に個室があるかどうかは重要な要因になったようだ。最近は、リフォームなどで、小さな個室を設けるのではなく家族でいるスペースを重視してリビングルームを大きくする傾向があったと聞く。当然それは家族の団らんや家庭で寛ぐことを目的としていたことであり、仕事をする環境としてはマイナスに働いたとしても不思議ではない。
 一方、個人の置かれた環境というのは、必ずしも物理的な要素だけではない。家族の仲や距離感、互いに干渉しあうかどうかなど、影響を与えた要素は様々だ。その中でも、仕事の生産性に決定的に大きく影響したのは、(小さい)子供の有無だ。(小さい)子供を抱えるご家庭でリモートワークをする人達からは、「日中は仕事にならない」という悲痛な声を数多く聞いた。(一人暮らしの人からは、当然こうした理由での生産性低下を嘆く声は聞かれず、総じて快適という声が多かった。しかし、リモートワークによって生じた社会からの隔絶によって、寂しさや不安などから、一定割合で心の病が生じる例が増えたとも聞く。)

 ただ、ここで生じた個人の環境による差は、一時的なものであって、本質的ではないと考えている。環境は整備すればよいわけだし、整備の仕方は色々とやりようがある。家の環境が難しい状況に置かれていても、外出さえできれば、オフィスに行けなくともカフェやレンタルスペースなど環境を整えることはできる。(小さい)子供の有無の問題にしても、これまでは保育園・幼稚園や小学校にも行けていなかったわけで、そういった場所が再開することでずいぶんと状況は変わってくるはずと考えるからだ。

無意識に共有されていた「目に見えない情報」

 話を組織に戻そう。
 リモートワークで実際に困ったことを聞いてみると、「メリハリをつける」「仕事を明確にタスク化する」など、慣れや工夫で克服できるものが多いと感じた。一方で、むしろ気になったのは、「リモートワークでも問題ない」と答えながら、その後に「ただ、…」と付け加えて語られた以下のような声だ。


リモートワークでも、思ったよりコミュニケーションはできるし、業務に支障はないと感じる。ただ、つながりが弱い人とのコミュニケーションは圧倒的に希薄になる。


指示してインプットしてアウトプットしてもらう、といった日常業務は問題ない。ただ、日常業務とは異なる話題から話が広がり、ひょんなことから意図しない創造的な発想が生まれるといったといった機会がなくなった。


アジェンダがきちんと設定されている会議は、リモートでも特に問題なくこなせるし、むしろ効率的になったと感じる。ただ、必要最小限の人数しか会議に呼ばなくなったし、アジェンダにない話題を議論することはなくなった。これまで必ずしも発言しなくても、その場にいるだけで学びにつながっていたことが多いと思うが、いちいち教育していかなければならない。

などだ。
 こうしてみると、これまでは、リアルな場を共有することで、無意識下で共有されていた「目に見えない」情報やつながりが実は多く、リモートワーク環境下での障害として浮上してきたことにあらためて気づかされる。意識して行っていたかどうかは別にして、「目に見えない」暗黙知によって実は組織学習が進んでいたことも少なくない。

問題が生じたのは、共同体(ゲマインシャフト)的要素がより求められる領域

 では、これまでのところ、どのような組織ではリモートワークが機能し、どのような組織では機能しなかったのだろうか?
 我々の仮説はこうだ。
「うまくいかない(いかなかった)」という組織は、「目に見えない情報やつながり」が組織運営上重視な役割を果たす、 “共同”体(ゲマインシャフト)としての側面がより求められる組織で、一方、「全く問題ない(なかった)」という組織は、“機能”体(ゲゼルフシャフト)としての側面が強く、従って「目に見えない情報やつながり」がそれほど必要とされない組織だったのではないか。

※ドイツの社会学者テンニースが 提唱して以来、これまで、共同体(ゲマインシャフト)と機能体(ゲゼルシャフト)という概念は、組織論を論じるときに最初に出されるものの一つとして、多くの人が引用してきた。ゲマインシャフトとは、地縁・血縁などにより自然発生した社会集団を指し、組織内部の個人の心地よさや好みの充足を満たすために存在する。ゲゼルシャフトとは、人為的に作られた社会組織を指し、そもそも外部に目的がありそれを達成することが存在意義だ。

 機能体と共同体とは本来両立しにくいものだが、現実的には、「この組織は機能体」、「この組織は共同体」といったように二分化できるものではない。当たり前だが、ほとんどすべての組織は、“機能”体要素も“共同”体要素も両方を兼ね備えている。

 しかし、組織によって、求められる要素のバランスは大きく異なる。そして、「見えないもの」によって運営の機微が大いに影響を受ける“共同”体要素の領域で、リモートワークは有効に機能しなかった、ということではないか、ということだ。したがって「なかなかうまくいかない」という組織は、“共同”体要素の占める割合の大きい組織ではなかろうかと考えている。

 従って、逆に言えば、一見「全く問題ない」「うまく機能している」という組織も、リモートワークになっても “機能”体要素の領域の運営では大きな問題は生じなかったというだけであって、“共同”体要素の領域についていえば、リモートワークに問題がないことを証明できたわけではない。時間が経つに従って、いずれ、“共同”体要素の領域が、これまでのように有効に機能しないことの“ツケ”が回ってくることが危惧される。

ニューノーマル時代には、組織開発がさらに重要に

 「“共同”体要素と言うが、能力やアウトプット重視ではなく、人間関係重視でこれまでやってきた人が仕事がしにくくなっているだけではないか」と考える人もいるかもしれない。確かに、「成果ではなく、いつも隣にいて都合よく動いてくれる部下を評価する」、「顧客とは提案の内容より飲みニケーションを図ることで受注につなげる」など、人間関係重視が組織運営に与えているマイナス要素は、この機会に少なくした方がよいのは当然だ。

 しかし、組織の“共同”体要素は、もちろんネガティブな側面だけではない。そして、“共同”体要素の重要性については、リモートワーク意外と大丈夫」と一見うまく回っているがゆえに、見落とす組織が少なくないのではないかと思う。

 新時代では、リモートワークが通常の働き方に組み込まれ、一緒に仕事をする人と場を共有することは少なくなり、物理的に一同に会すといったことはほとんどなくなる。よほど意識して進めなければ、大切な情報(価値観、ビジョン、目標など)は共有されにくくなるし、同じ場にいることで生まれる一体感の醸成も難しくなる。組織学習が自然に進むことも少なくなり、様々な偶然や社内外の出会いから生まれる創発も期待できなくなるだろう。逆に言うと、新時代にはこうしたことが決定的に重要になるということだ。

 新時代には、様々な分野で同じように、共同体要素の重要性の議論はクローズアップされてくるはずだ。
例えば、学校教育においても、IT環境の整備の問題による遅れはあったものの、オンライン授業による知識習得は十分に進んだ、いやむしろ、オンラインの方が効率的に受講できるという声さえ聞こえた。また、対面での授業も再開し、多少の遅れはあったとしても、機能体要素は問題ないように見える。しかし、問題は、共同体要素だ。修学旅行、あるいは運動会や文化祭といったことで本来培われたものが、この間失われたとすると、それを補うための努力を相当重ねなければならない。補われなければ、この世代が社会で活躍し、何十年か経ったときにはじめて大きな問題として見えてくるかもしれない。 

 Withウイルスを前提とすべき時代は向こう数年間は続く。この時代の組織の共同体要素の重要性に気づき、様々な工夫を凝らした企業とそうでない企業では、各人の成長、組織学習、帰属意識、等に、圧倒的な差がつくだろう。