GIAリーダーシップ・プログラムレポート(第3章)「各人の問題意識に沿ってペアで様々な組織・人を訪れ対話し、社会課題解決のための仮説を練る」

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GIAリーダーのカンボジアでの旅のテーマは、3部で構成されている。

序盤:「カンボジアの今・昔・未来に触れ、国の概要や構造をつかむ」

中盤:「農村でのホームステイ体験を通じて、経済格差を体感し、社会課題の現実と向き合う」

終盤:「個人の問題意識に沿ってペアで様々な組織・人を訪れ対話し、社会課題解決のための仮説を練る」の3部だ。

今回の稿では、いよいよGIAリーダーの旅の集大成である、「ペア訪問での対話」を中心とした終盤の出来事を綴りたいと思う。研修参加者はペアに分かれてそれぞれ訪問したので、すべてを追うことはできないが、私が同行させてもらったいくつかの訪問先での対話を取り上げようと思う。
カンボジアでは、医療分野・教育分野には特に大きな社会課題を抱えているが、ここではその分野の訪問先を中心に綴っておきたい。GIAリーダーの旅の終盤に出会った、そして私達は大いに刺激を受けた、カンボジア現地で社会課題に取り組むリーダー達の活躍の様子を少しでもリアルに伝えたいと思う。

  • Sunrise Japan Hospital Phnom Penh:院長 林祥史先生:「求められる場で仕事をしたいので、ここカンボジアにいる」
  • Academy of Careers and Technology:マータリアさん「唯一無二のカリキュラムを提供する学校を作って、ソーシャルインパクトをもたらす」
  • NGO ハート・オブ・ゴールド:東南アジア事務所長 西山直樹さん・手束耕二さん「クメール体操で、カンボジアに体育を普及する」
  • ソルティーロ・アンコールFC:GM 辻井翔吾さん「サッカーを通じて子供たちに夢を持つことの大切さを教える」

Sunrise Japan Hospital Phnom Penh:院長 林祥史先生:「求められる場で仕事をしたいので、ここカンボジアにいる」

しかし、シェムリアップ最後の夜に、皆で振り返りのセッションを持ったところ、ホームステイの経験は、参加者の皆さんにとって、それはそれはとても大きなものになったようだ。 「求められる場で仕事をしたい。」なぜカンボジアで医者をやっているのか、なぜカンボジアに来て病院を作ったのか、と質問したときの、林院長から返ってきた言葉だ。
脳外科医は日本では今8000人いて、そのうちの半分は顕微鏡手術ができるのだという。しかし、カンボジアでは同じ手術ができる人は自分以外にはもう1人いるかいないか、ここでは唯一無二の存在ということだ。
林院長のこの言葉に、訪ねて行ったGIAリーダーのKさんもMさんも、自身の仕事への姿勢と共鳴することがあったのか、深い感銘を受けていた。 私達が訪ねたSunrise Japan Hospital Phnom Penhは、日本の北原病院グループが、海外展開事業として日揮株式会社と産業革新機構との3社合弁により2015年に設立した病院だ。病院内はとても綺麗で、まるで日本の最新設備が整った病院にいるような錯覚に陥った。

私達が訪れたときには、ちょうどテレビドラマの撮影に使われているほどだった。その病院の院長を若くして弱冠30代で務めるのが林院長だ。 しかし、シェムリアップ最後の夜に、皆で振り返りのセッションを持ったところ、ホームステイの経験は、参加者の皆さんにとって、それはそれはとても大きなものになったようだ。

海外に医者が行くというのは、通常2つのパターンだ。1つは「留学」。欧米に、日本にはない高度な医療を学びに行く。もう1つは「ボランティア」。途上国に、国境なき医師団に代表されるような支援という形で出向くものだ。しかし、ここサンライズ病院のプロジェクトはそのどちらでもないという。「医療が乏しいところに日本の医療を届ける」ということを、ビジネスとして行っているのだ。
発展著しいカンボジアではあるが、国内に良い病院がないことで、タイやベトナムやシンガポールなどの海外に医療を受けに行っている人が毎年20万人以上もいるという。やはりここでも、ポルポトによる大量虐殺の影響が大きな影を落としていた。

林院長との対話では、カンボジア人の教育の話に花が咲いた。病院で患者とはクメール語で会話するわけで、接遇は重要なのでスタッフ皆を必ずカンボジア人にしないといけないと考えていると語っていた。まずは、課長クラスはすべてカンボジア人にしようと取り組み、13ポストはすべてカンボジア人になったと語っていた。
マネジャー達は皆、JICAのプログラムを活用して、まずは日本の北原病院で研修を受けているという。あらゆる場面で、ガイドラインを示してくれと言われるのだが、とにかく、「自分で考えろ」と言う。答えそのものではなく、考え方や調べ方を教えようとしている。基礎教育が乏しいから、表面的なのだ。基本の考え方の部分が分かっていないので、考えが浅いことが少なくない。根本の原因を考えないといけない。問題解決力を高めることがここでは最も重要な教育だと語っていた。
カンボジア人が100人にまで増えたが、人が増えれば増えるほど「理念教育」の重要性が増しているという。言葉も違う、文化も違う中で理念をどう伝達していくか、が今、最大の課題なのだと言っていた。専門性の教育を受けたドクターや看護師が集まってきているが、「理念教育」というのは、時間通りに来る、嘘をつかない、掃除をきちんとする、といった、プリミティブな部分の教育をはじめとして、どうやって患者をケアしているか、など業務の根本的な価値観に関わる教育だ。現場のマネジャーが教えるのが大きな効果を生むので、マネジャー達が自主的に交替で勉強会を開催しているという。業務外の時間を使っているが、参加率も高く、そしてこうした教育のおかげでモチベーションも高く保たれていて、離職率も低いということだ。「この病院で働けばいい教育が積める」と考えてくれている人が多いのだろう。

Academy of Careers and Technology:マータリアさん「唯一無二のカリキュラムを提供する学校を作って、ソーシャルインパクトをもたらす」

カンボジアに来て18年になるというカナダ人のマータリア(Martalia)さんは、「Academy of Careers and Technology」という学校を3年前に設立した。6か月ほどのつもりでカンボジアに滞在して英語の先生をやっていたが、それが18年にもなり、そして、とうとう学校経営にまでチャレンジすることになったのだと笑いながら話してくれた。
この学校は、高校生レベル(Grades 10-12)の学生たちが観光およびデジタルメディアデザインを学ぶ学校だ。一般科目と専門科目の教育、およびインターンシップでの実践教育のハイブリッドといったユニークなカリキュラムが特徴。カンボジア出身のASEAN市場で活躍できる人材を育てたいという志が設立の理念。ここで学んだ後には、就職して適切なキャリアをスタートさせることも、大学に進んでさらに高度な教育を受けることも可能だという。
デジタルメディアデザインを始めたのは、他の高校ではまだ全く提供されていない新領域の教育を始めたかったということに尽きるらしい。学校にとって大事なのは、ブランドネームなどより、ソーシャルインパクトだと語ってくれた。

マータリアさんとは、カンボジアの学校教育の現状の課題について、ずいぶん意見交換をさせていただいた。カンボジアも、日本と同じように、9年制の義務教育だ。しかし、その実態は日本と大きく異なるようだ。
まず、絶対的に先生の数が足りていない。カンボジアでは小・中学校は基本的に授業が二部制で、午前に通う生徒と午後に通う生徒に分かれている。その理由は、生徒数に対して教員数が足りていないからだ。
教員免許は、ある1つの大学に通わなければ得ることができない仕組みになっているという。これだけ不足しているにも関わらずだ。
教員のメンタリティも、日本とは大きく異なる。塾などの副業に精を出して、本業の学校教育の場を蔑ろにする先生が極めて多いという。
そして、生徒のメンタリティにも、大きな問題がある。私立学校では、例えば生徒が遅刻しても、「先生には生徒が金を払っているのだから何が悪いのだ」という態度をとる生徒も少なくないという。

しかし、こうした環境を変えていくのは、一つの学校だけでできることではない。一つの学校でできることは、やはり、「カリキュラムの充実」に尽きるという考えに至ったと話してくれた。
カンボジアでは、せっかく学校に通うことができるようになっても、適切なスキルを学べるカリキュラムを提供できる場は少ない。数学やコンピューターやサイエンスなどの科目や、あるいは、観光産業などに従事できる質の高いサービスを学べる授業など、これからの時代に必要なカリキュラムを充実させるのが自分達の使命だと、学校内を案内してくれながら、熱く語ってくれた。生徒達が、本当にきらきらした目で授業に参加していたのが印象に残った。
後で耳にしたが、この学校に限らず、学校教育の現場にようやく大きな変化の波がやってきているらしい。「New Generation School」というのがどんどんできているのだという。半日ではなく1日の学校教育を受けられる。やる気のない先生は解雇される。2年前にはわずか6校しかなかったのが、今では50校に増えたという。
国の未来を創っていくのに、やはり最も重要な領域は教育であることは間違いなく、その領域で情熱を持って大きな貢献を果たそうとしているマータリアさんの話を聞いて、本当に清々しい、とても嬉しい気持ちになった。GIAリーダー達が熱心に話を聞いたので、マータリアさんも「カンボジアの教育にこんなに関心を持ってくれた人達と出会ったのは初めてだ!」と、オープンに多くのことを話してくれた。最後に彼女の夢を聞いた。この学校をカンボジアのみならず世界中に広げたいと言っていた。

NGO ハート・オブ・ゴールド:東南アジア事務所長 西山直樹さん・手束耕二さん「クメール体操で、カンボジアに体育を普及する」

認定特定非営利活動法人ハート・オブ・ゴールドは、1996年12月に開催されたアンコールワット国際ハーフマラソンに関わった人々によって設立されたNGOだ。団体の代表理事は、マラソンのオリンピックメダリスト、あの有森裕子さんだ。【スポーツを通じて、国境・人種・ハンディキャップを超えた「希望と勇気」の共有を実現する。】を理念に活動している。
私達は、カンボジアのオフィスを訪ねて行ったが、カンボジアに駐在する東南アジア事務所所長の西山直樹さんと手束耕二さん達が対話に応じてくださった。

まずは、西山さんのお話をお伺いした。
当初はスポーツの指導者育成を支援していた。スポーツは国際協力とはみなされなかったが、スポーツを教えるというより、「スポーツを通じて」人が育つという考え方を、JICAにも納得してもらってから、活動の幅が広がったという。 2005年には、カンボジアの教育省から、「学校の先生にも指導をしてほしい」と頼まれた。そこで、小学校の体育の学習指導要領を作り、カンボジアでの体育教育の普及に力を注いだ。しかし、いかんせん、カンボジアにはこれまで「体育」が存在しなかった。だから現職の学校の先生が体育の指導の仕方を分かっていないので、学習指導要領だけがあっても意味がなく、先生の「指導書」づくりがとても重要な役割を果たしたと語る。指導を実践的に教えるワークショップなども頻繁に行った。そうした努力の甲斐あって、今では小学校は15州、中学校は24州にまで普及し、体育教育を行う学校が広がったという。
今は「クメール体操」なるものをつくり、普及に努めていると、YouTubeを見せてくれた。体操自体はカンボジアに古くからあるものらしいが、日本のラジオ体操よろしく、テンポのいい音楽とクメール語のリズムをつけて、老若男女が簡単に運動できるように工夫している。こんなものを日本人がつくり、その普及に尽力していると聞いて、本当に驚いた。
以前、東南アジア各国に駐在する日本人が一国に会してサッカー大会を開いた際の開会式で、何の打ち合わせもない中で、音楽が鳴ったら皆がスムーズにラジオ体操をしていた姿に驚いた、という話をタイ人から聞いたことを私は思い出した。

25年以上前からカンボジアに駐在していて、当時の様子を自身で体験しているという手束さんの話は強烈だった。
前に勤務していた団体で1991年に手束さんが初めて派遣された場所は、タイに逃れてきたカンボジア難民キャンプだったという。そこで図書館建設に携わったが、当時のこの国は「ボロボロ」だった。学校現場では、1冊の教科書で122人の生徒が学ばないといけないというひどい状態だった。つまり、先生にしか教科書はなく、1人の先生が受け持つクラスには100人以上の生徒がいた。何といっても2万人いた先生の8割がポルポトによって殺されてしまったのだ。中学校さえ卒業していれば、学校の先生になることを請われたという状況だったという。 そのような状況と比較すると、今は先生の「数」はずいぶん復活したと言える。しかし、問題は「質」だ。例えば先生のやる気は低く、田植えなどがあると結構多くの先生が学校を休む。内職を掛け持ちしている先生も多い。先生の給与は最近随分よくなったのだから(月給350ドルくらいにはなっている)、内職はやめてほしいなと語っていた。
最大の問題は、日本だと、先生が自分で教える余白を残すことが重要だが、カンボジアでは、相当事細かに指導しないと、適切な指導にならないことだ、と力説していた。やはりポルポト時代の影響なのか、なかなか自ら考えるということにはハードルがある、とつぶやいていたのが印象に残った。

最後に、最近の活動のお話を伺った。アンコールワットマラソンから始まったこの団体だが、地雷被害者へのチャリティなど、障害者スポーツ支援に力を入れているという。 障害者陸上も、義足の人はほとんどが短距離なので、もっと幅を広げて活躍してもらいたいと考えているということだった。
障害者は外に出るのが恥ずかしい、そもそも、家族が外に見せたくない、という環境にある。しかし、スポーツを通じて、友達同士でつながって、自分に自信を持てるようになる。スポーツにはそんな力があるのだということだった。
カンボジアの障害者は、何でも自分でするのだという話は興味深かった。改造バイクだって自分で運転している。日本ではルールでがんじがらめで、障害者にできないことは多い。しかし、カンボジアでは、気持ちさえあれば、何でも自分でできる環境にある。だから、スポーツをしたいという気持ちを持ってもらうことが最も重要だ。
カンボジアで、障害者が仕事を見つけるのは大変だという。職がなくてお金がないと、そもそも練習をするスタジアムに通うことすらできない。
でも、スポーツをしたいという気持ちがある人は、物乞いをしている。歌を歌って寄付をもらっている。そうやってスポーツを続けている。 カンボジアでは、まだまだパラリンピック選手は少ないので、競技人口を増やす必要がある。競技人口が増えないと、世界では競えない。そのためには地方選手の発掘が課題で、そこに取り組みたい西山さんは語っていた。

ソルティーロ・アンコールFC:GM 辻井翔吾さん「サッカーを通じて子供たちに夢を持つことの大切さを教える」

ソルティーロ・アンコールFCは、元日本代表の本田圭佑選手がオーナーを務めるプロサッカーチームだ。そのチームのGMを若くして27歳で務めるのが、辻井翔吾さんという方だった。
プノンペンで迎えたGIAリーダー研修の最終日、いよいよGMの辻井翔吾さんにお時間をいただき、お話を伺う機会を得た。GIAリーダー研修の最後の3日間は、参加者はペアで行動し、会って話したい人にアポを取って対話し、「この国にどのように貢献できるか」の仮説を練ることが実践取り組み課題だった。辻井さんに会いたいという参加者の2人と共に会いに行った。彼は、情熱を持ってこの国に渡ってきて、志を持ってこの国のサッカーに貢献しようと心血を注いでいる、本当に魅力的な方だったので、私達はすぐに話に惹き込まれた。

お会いしてすぐに、どうしても聞きたかったいくつかの質問を投げかけてみた。
まず、聞きたかったのが、本田圭佑氏がカンボジアサッカーにどのような可能性を見出したのかということだ。 「この国のサッカーのスタイルを確立できる可能性」だと即答してくれた。スタイルを確立するとは、“強み”を活かしたチームをつくる、ということだ。これは、日本代表にだってできていないでしょ、と言われた。
どのチームも外国人にいいポジションを担わせている。カンボジア人は、総じて体が小さい。だから、シンプルに背が高い人を入れればチームは強くなる。目先の結果は出るかもしれない。でも、そんなやり方で強くしたり、目先の結果がよくなったりしても意味がない。 「私達が見据えているのは、“10年後に真に強いチーム作り”だ」と語っていた。
チームづくりは、いい意味で準備をしすぎず、こういうことを“やる”とだけ決めて、そして、本当にやれるかどうかはやってみて後で決まってくる、とも言っていた。

ところで辻井さんは、本田圭佑氏の高校の後輩にあたると言う。尊敬する先輩で、その縁でここにいて感謝もしているし、全面的に任せてくれてもいるがオーナーとして影響力も発揮してくれていると言う。ただ、「本田圭佑」という名前を出したときの辻さんの反応には、目を見張るものがあった。辻井さんの強い矜持を感じた。「本田圭佑という名前はどんどん使えと言われている。カンボジアの代表監督にまでなった彼の名前を使うことは、もちろん、大きなメリットがあるし、まだまだ活用しなければやっていけないというのも事実だ。でも、そこに頼るのは嫌だという自分もいる。だから、日本からお金が入ることはありがたいけれど、独立採算にこだわりたい。」
そういう強い矜持が、辻さんのGMとしてのチーム作りの柱をなしていると感じた。チーム作りの哲学について伺った3つの話がとても印象に残った。
1つ目は、日本人(トップ)がチームの皆の信頼を掴むには、「制約を“かいくぐって”頑張る」ことが絶対に必要という話だ。
カンボジアでは、日本と比べてしまうと、制約だらけで不自由なことばかり目に付きかねない。金もないし、スター選手もいないし、ないもの尽くしだ。おまけに日本では考えられないことがたくさん起こる。泥水を一緒にすする覚悟がないと、不満を言ったり、あきらめたりしがちだ。たくさんの制約の中で、いかにやりたいことを実現していくか、“かいくぐる”ことを楽しんでいると言っていた。ピンチこそチャンスだと思っている、と強い言葉で語っていた。
2つ目は、「人を替えない」という話だ。
チームを強くするには、人を替えることは決して避けられない。ただ、最初は「人」にファンがつくのだという。今は、人を大事にするというフェーズと認識している。だから、人を入れ替えることは一切考えずに、今のメンバーでどのようにしたら強くなるかだけを考えていると言っていた。
3つ目は、チームのマネジメントで大事にしているのは、何を言うかより、「誰が言うか」が重要という話だ。
ここでは、“正しいこと”をいくら言っても聞いてくれないという。特に外国からやってきて、敵なのか味方なのかといったところから始まることも多い。信じられるのは家族のみといったマインドの選手もいる。そうした環境で、「俺達は味方だ」というメッセージは生半可では伝わらないという。ミスを繰り返すカンボジア人に、寛容にカバーすることを繰り返していたら、「あなたの言うことには、今後全面的に従う」と信頼関係が構築できたと言っていた。

カンボジアという国自体の魅力についても聞いた。
人口が増えている。子供が増えている。活気がある。それは、ひいては、チャンスの数が日本より多いということだ、と言っていた。 カンボジアで「サッカーを通じて子供たちに夢を持つことの大切さを教える」というコンセプトのもと、辻井さんが中心となってサッカースクールを立ち上げ、200人近い生徒がいるという。
子供たちにはサッカーの技術はもちろんだが、サッカーにこだわっているわけではない、とも言っていた。世界で活躍する人材に育てるため幼い頃から「自ら考えて判断・行動する」という判断力を中心に指導しているという。

最後に、辻井さんは「自身のキャリアがどのように始まったのか」についても、話をしてくれた。
大学4年生のときには、大手企業から内定をもらっていたという。しかし、卒業2か月前になって、申し訳ないが内定を辞退した。海外勤務を希望していたが、「それじゃあ、仕事を覚えてキャリアを積んで、35歳になったら海外勤務の夢を叶えてあげよう。」と、内定していた会社から言われたのだと言う。22歳の自分が35歳になってはじめて海外で仕事ができる(かもしれない)なんて、“ギャンブルでしかない”。そんなギャンブルみたいな人生歩めない、と思ったのだという。その2日後にはもうカンボジアに飛んでいたと語ってくれた。
日本のニュースでカンボジアのサッカーチーム(ソルティーロ・アンコールFCではなく、同じシェムリアップに拠点を置くライバルチームであるアンコール・タイガーFC)の名前が出ていたことがきっかけで、フェイスブックでアクセスし、そこで職を得て彼は社会人としてのキャリアをカンボジアで踏み出した。とにかくチャンスが多い国に行きたい、と思っていたし、「自分の給料は自分で稼げ、あとは自由。」と言われて、カンボジアに来て本当によかったと思ったと言う。
初任給が数百ドルだったけど、仕事がとても楽しいと思えた。そして、日本では苦手だったゴキブリが部屋に出たときも、全く大丈夫だと思えた。この気持ちを実感できたときに、ここでやっていけると心から確信したと言う。今も実際に好きなことやっているし、大変だとは思っていない。ここでの仕事はむしろ楽しくて仕方ない。ただ、周囲の人からは、「給与を犠牲にして、好きなことをやっているのだろう。」と言われるので、チームを強くして、給与増も実現して、そんなことは言わせないようにしたいと語っていたのが、非常に印象に残った。

そのすべてを紹介することはとてもできないが、私達は、まだまだ多くの人と出会い、対話し、この国の社会課題のために何ができるかを考えた。そして、カンボジアを後にした。
日本に戻ってからのフェーズ3では、「この国の社会課題解決のためにビジネスを通じて何ができるか」と「旅を通じた自身のリーダーシップ開発」をテーマに、一人ひとりが考えたことをGIAリーダーの旅の成果の集大成として発表を行った。 参加者各人の成果は、本当に大変興味深いものだったので、また別の機会に紹介したいと思う。