GIAリーダーシップ・プログラムレポート(第2章)「農村でのホームステイ体験を通じて経済格差を体感し社会課題の現実と向き合う」

第1章はこちら

GIAリーダーのカンボジアでの旅のテーマは、3部で構成されている。

序盤:「カンボジアの今・昔・未来に触れ、国の概要や構造をつかむ」

中盤:「農村でのホームステイ体験を通じて、経済格差を体感し、社会課題の現実と向き合う」

終盤:「個人の問題意識に沿ってペアで様々な組織・人を訪れ対話し、社会課題解決のための仮説を練る」の3部だ。

前回の稿では、カンボジアに着いてからの序盤の4日間、首都プノンペンに陣を張って、「カンボジアの今・昔・未来に触れ、国の概要や構造をつかむ」というテーマに則って行った活動をレポートした。

今回の稿では、GIAの旅全体のハイライトと言ってもよい、「農村でのホームステイ体験」を中心とした、中盤の出来事を綴りたいと思う。参加者達の価値観を揺さぶる体験は、数多くあったが、いくつかを取り上げて綴りたい。

  • コンポントムの農村の村長宅で「皆で作ったカンボジア郷土料理」(農村ホームステイ1日目)
  • 世界遺産サンボ―・プレイ・クックで「1000年後の社会」に思いを馳せた朝
  • 大きなカルチャーショックを覚えた「一生忘れられない/忘れたくない1日」(農村ホームステイ2日目)
  • 「“頑張る”ことは環境が与えてくれたスキル」を授けるSALASUSUの工房
  • 「ごみ山」に魅せられ、ごみ山から多くの人を救おうとしている山勢拓弥さん
  • 難民として日本で生き抜いて、今は「カンボジアの教育に情熱を捧げる」バイヨン中学チアさん

中盤のハイライトであり、GIAの旅全体のハイライトと言ってもよいのが、農村での2連泊だ。ホームステイをさせてもらったのは、コンポントムの村とクチャ村(シェムリアップから35km)の2つの村。 過去のスリランカGIAリーダープログラムでも2泊のホームステイはあったが、農村でのホームステイ1泊と、都市でのホームステイ1泊だったので、農村2連泊は初めての経験だった。色々な意味でかなりきついものになることが想定されたので、終わるまでは私も若干緊張していた。

しかし、シェムリアップ最後の夜に、皆で振り返りのセッションを持ったところ、ホームステイの経験は、参加者の皆さんにとって、それはそれはとても大きなものになったようだ。

コンポントムの農村の村長宅で「皆で作ったカンボジア郷土料理」(農村ホームステイ1日目)

首都プノンペンを出発して、私達一行はコンポントムを目指した。 途中、トイレ休憩で立ち寄った場所では、大きなかご一杯に何か唐揚げのようなものを売っているおばあさんがたくさんいたが、コオロギだった。この辺りの名物ということらしい。また、多くの子供達が群がってきて、タランチュラ(蜘蛛)を買わないかと随分勧誘をされた。終いには、私達のバスの入り口の前に座って店を開いていたので、とても困った。プノンペンの趣とはずいぶん異なる様子からも、農村が近づいていることが分かり、不安と期待が高まった。

バスで揺られること5時間、ようやく目的地であるコンポントムに到着した。コンポントムは、プノンペンとシェムリアップのちょうど中間あたりに位置する小さな町だ。着いてから町を散策したが、「クリーニング屋」がやたらにあることが気になった。クリーニング屋といっても、人から洗濯物を預かって、自分の敷地内の物干しに干しているだけだ。店の前に座って暇そうにビールでも飲みながら子供たちと戯れる店主というか家主のような人に、数多く遭遇した。聞くと、家にいながらにして手っ取り早く仕事ができるということが理由で、始める人が多いらしい。

カンボジアの農村では、なかなか地元にいながらにして稼ぐ手段がない、というのが大きな問題のようだ。プノンペンに出て行けば職にありつけるのかもしれないが、それは地元から離れ、家族からも離れ、独り家計のために出稼ぎに出ることを意味する。こうしたクリーニング屋を営み、夕方店の前で佇んでいる人たちは、経済的な余裕の追求よりも、地元で家族と過ごす暮らしに幸せを見出したのだろうか。

コンポントムの村では、最初のホームステイをした。地元の農村の村長と近所の数軒のお宅でお世話になった。皆で夕食作りを手伝ったが、 1年前に電気は通ったとはいうものの、灯りは裸電球で、もちろん冷蔵庫や電気調理器具などはない。夜7時にでもなればもう真っ暗闇だ。

バスルームは雨水を貯めた浴槽から桶で水をすくって浴びるだけ。トイレもその隣にあって、身体にかけるのと同じ水を用を足した後の便器に流し込むようになっている。

この日の夕食は、郷土の「バンチャイル」というオムレツ風お好み焼きのような料理を、村の主婦の皆さんに教えてもらいながら皆で作った。真昼間から始めたものの、庭の炭火でひたすら焼いたので、3時間ほどかかった。皆で一つになって作ったからか、とてもおいしかった。お皿を洗うのも、共同作業だった。3つのたらいを用意して井戸水を入れ、下洗い、中洗い、仕上げと係を決めて分担した。日本では食洗器を使う暮らしに慣れきっているので、お皿を洗うこと自体があまりないが、少ない水で工夫しながら行う流れ作業がなんだか楽しかった。

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お宅は高床式の原始的な造りだったが、ござを敷いてもらい、蚊帳を吊ってもらったので、ぐっすり眠れた。

次の日は市場に買い出しに行き、お世話になったお宅の皆さんに生姜焼きやカレーをふるまった。日本のカレーのルーの味に驚いて、「本当に美味しい」と何度もお替わりをしている人もいて、私達もとても嬉しかった。

参加者の皆さんは、どこに行っても誰と接していても、今この場を最大限楽しもうという意識に満ちているように見えて、私も農村に来る前は若干緊張していたが、むしろその逞しさや精神に、刺激や感銘を受けるようになっていった。

世界遺産サンボ―・プレイ・クックで「1000年後の社会」に思いを馳せた朝

カンボジアの世界遺産と言えば、誰もが思い出すのは有名な「アンコールワット」だろう。私達も、1日オフの日には参加者の皆さんと一緒にアンコールワット散策を楽しんだ。朝4時半にはホテルを出発して、朝日のアンコールワットを拝みに行った。

ただ、カンボジアにはもう一つ、サンボー・プレイ・クックという2年前(2017年)に登録されたばかりの世界遺産、1400年前の考古遺跡がある。アンコールワットに先立つこと500年以上前、6世紀から8世紀にかけて建立された王の都と王のための寺院だ。

ここは、「コミュニティ・ツーリズム」を標榜している。これから多くの観光客が訪れるようになっても、アンコールワットのように旅行会社や外国資本ばかりが潤うのではなく、きちんと地元の村も潤うようにし、それでいて村の人たちの今の生活も守られるということを実践している。

昼間、地元村民のガイド達と共にこの遺跡を散策した。少人数に分かれたので、遺跡の話のみならず、地元の生活の様子や、カンボジアの文化など、多岐にわたって会話を楽しめた。

実は、サンボー・プレイ・クックの「コミュニティ・ツーリズム」の実践をカンボジアに来て主導している日本人がいる。吉川舞さんという人だ。この人が私達のここでのホームステイ体験などもアレンジしてくれた。

ホームステイの次の日の早朝、吉川さんが私達を連れ出してくれた。少し離れたところにある、最も古い寺院に行くという。 散歩の最後に、その寺院の周りで皆で円になり、そして、私達に彼女から1つの問いが投げかけられた。「1000年後に、どんな社会を残したいですか」

私も含め、皆、1000年後の社会など、一度も考えたことがなかったと言った。でも、1400年前の寺院の遺跡が目の前に存在していて、そして、建立されてから1400年後に遠く日本からやってきた人達がいる。とても不思議な気持ちになった。1000年後の未来は間違いなく訪れる。微力ながら、私達一人ひとりの思い・考え・活動が、どんな社会になっているかを決めるのだろう。

皆、思い思いに、1000年後の社会を想像し、そして、自分が残したい社会のイメージを通じて、自身の価値観を共有しあった。

大きなカルチャーショックを覚えた「一生忘れられない/忘れたくない1日」(農村ホームステイ2日目)

一方、次の日は、クチャ村に移りSALASUSUで働く女性達のお宅に1人1人宿泊させていただくということになっていた。ホームステイの割り振りが行われたが、今回のホームステイは、皆、人生で初めて外国人を家に泊めるということで、どの人が自分の家に泊まることになるのか、発表がある度に大きな歓声があがって盛り上がった。

軽トラックの後ろに乗せてもらって、1人1人1軒1軒回ってホームステイの家に降ろされていく際のGIAリーダー達の表情は、期待と不安と覚悟が入り混じった、複雑なものに見えた。 SALASUSUの工房では、農村の貧困家庭出身者のみを採用しているが、その生活は想像を絶するものがあった。

初日の農村ホームステイでは、井戸水の貯水槽の水を汲んで体を洗うしかないなど、それなりにハードシップはあったものの、それでもまだ建物の囲いがあったし、クメール語の通訳ができるスタッフもいて、コミュニケーションも何とか成り立った。「1日目のホームステイは、今から思えばキャンプの延長のようなものだった」と後から振り返ってみて皆が異口同音に語っていた。

しかし、農村ホームステイ2日目のこの日は、皆さんの言葉を借りると、「これこそ求めていたものだった」(という言葉が出るほど、カルチャーショックも大きかったようだったが、終わってみると楽しめたということと理解している)。私の場合で言うと、家族皆(家族と言っても、隣近所との境目もなくどこまでが家族かよく分からない)当然クメール語しか話せずコミュニケーションはとにかく大変だった(英語がネイティブ並みにできる参加者がものすごく苦労したようで、後日、「英語なんてなんとかなるから頑張って話せ、と皆に言ってごめん」と謝っていた)。井戸水の貯水槽も外なので当然水浴びは外だった(ちなみに、カンボジア人はお風呂でも裸にならないので、日本人は温泉などで人前で裸になるという話には度肝を抜かれていた)。そして、夕食の少なさには本当に驚いた。白飯以外には、お椀1杯のお汁を4人で分けただけの食事だった。一応ゲストがいてこれかと思うとより一層込み上げるものがあった。ゴミはその辺に捨て放題だったので、高床式の家の周りにごみが積み上げられていたのに閉口した(この国には焼却炉がなく、ゴミ問題は参加者の皆さんの課題意識に急浮上した)。一晩中大音量の音楽が村中に流れていたのにも、少なからず戸惑った。朝になって聞くと、昨日結婚式があったようで、村中に響きわたるように音楽を流すのがしきたりだという。

ただ、次の日、ホームステイから帰ってきた皆さんは、本当に楽しそうに経験を語り合っていた。
SALASUSUの工房で、クメール語と英語の通訳のできるカンボジア人も交えて、泊まった家の女性と再度、昨晩はほとんどうまくできなかったであろう会話の続きをした。

シェムリアップ最後の日に、皆さんの感想を共有しあったが、ある人は、次のように語ってくれた。
「農村のホームステイは、自分の人生でも最も重要な忘れられない1日になった。 泊まったときにはうまく会話できなかったが、次の日に通訳を交えて話を聞いたところ、泊まった家庭は、お父さんが蒸発していなくなったということで、シングルマザーだとやはり貧困に陥りやすいということが分かった。自らの境遇は悲しいけれども、今は働けていてありがたい、お金が貯まったらテレビがほしい、と言っていた。
自分はあと1週間したら通常の仕事に戻るが、ここでの体験で得たことは大きく、これからの自分の仕事への姿勢は、間違いなく変わる。」

また別のある人は、「ここでの経験を、一生忘れないようにしないといけない。だから、忘れないように、思い出せるように、彼女達の作ったペンケースを買って持っておく。」と言って言葉を詰まらせていた。

「“頑張る”ことは環境が与えてくれたスキル」を授けるSALASUSUの工房

こうした参加者の皆さんの話を聞いて、SALASUSUの青木さんも、次のように話してくれた。 「SALASUSUの工房で働く子たちが、皆さんに少なからず影響を与えることができるのは嬉しい。女性達も、悲しいことはたくさんあるけど、皆さんが来てくれた日は、とても嬉しい日になったと思う。こうして皆さんが受け留めてくれることが何より嬉しいと思う。そしてSALASUSUとしても、自分達が最も大切にしていることが伝わって、こんなに嬉しいことはない。」

SALASUSUの工房では、「指名買い」をする人が出た。工房で作られる1つ1つのバックやペンケースの裏に、「裁断」「縫製」「検品」などを誰が行ったか分かるようにハンコが押してある。だから、自分が泊まった家の女性のハンコが押された商品を買いたいということだ。これは、SALASUSUにとっても全く新しい、これまで経験したことのない現象だったようだ。プロダクションマネジャーは最初戸惑っていたが、快く引き受けて根気よく探してくれた。そして、買ったバッグを、そのバッグを作った女性本人にプレゼントした人もいた。バッグを受け取った女性は、後にホームステイ体験の感想を泊めた人達だけで振り返る場で、「40ドルもするこんな高いバッグ、持って行くところがないから一生使えないけど、本当に大切にする」と言ってとても喜んでいたと聞いた。

SALASUSUという団体の名前は、「学校」「頑張れ」という意味だという。学校という言葉には、ここは、いつまでも働いていてよいところではなく、卒業してほしいという意味が込められている。数年でスキルを身につけたら、より待遇のいい、例えばプノンペンにある工場にステップアップしてほしい。そして、SALASUSUの工房では、また別の、貧困家庭の人に雇用の機会を提供する。それがこの団体の存在意義だという。
そして、「頑張れ」という言葉には、カンボジアという国の社会問題への意志が込められている。私達日本人にとっては、「頑張る」という価値観は当たり前のように根付いている。頑張ったら成長できる、頑張ったらよりよい生活ができる、頑張ったら明るい未来が待っている。でも、カンボジアでは、そもそも頑張れば何とかなる、という発想を持っていない人が少なくないのだという。「頑張る、は環境が与えてくれた技術」とSALASUSU代表の青木さんは語る。だから、この工房では、頑張ることのすばらしさを、仕事を通じて学んでもらっているのだと言う。

「ごみ山」に魅せられ、ごみ山から多くの人を救おうとしている山勢拓弥さん

ある日の訪問目的地は、シェムリアップにある「ごみ山」だった。ごみ山に着くと、ごみ山を案内してくれるという人が待っていてくれた。その人が、山勢拓弥さんだった。
彼は、6年前の2013年にKumaeという団体を立ち上げ、現在はバナナペーパー事業を行っている。バナナの皮などの素材でコースターなどの商品を作り、ASHIというブランドで先進国から来る観光客など向けに販売している。Kuameの工房でバナナペーパー事業に携わる社員たちは皆、以前はごみ山で働いていた人達だ。農村の貧民がごみ山で働かなくてよいようにするというのが、山勢さんが事業を起こした理由だ。彼の活躍は、今年の初めに「情熱大陸」(TBS)でも取り上げられた。

2012年に大学を辞めて彼が初めてカンボジアに来たとき、カンボジアの表面だけではなく裏の部分を見たいとごみ山を訪れて以来、ごみ山に魅了されてしまったのだと言う。最初は旅行代理店に勤めたが、好きなことだけに関わりたくて、他の人にお金を払ってまで自分の仕事をこなしてもらって、自分はごみ山に通い詰めたのだと語った。

ごみ山には、小遣い欲しさの少年少女たちも含めて現在でも100名くらいの人達が働いているという。過去には、捨てられていたまだ使えるi-phoneを見つけて、数百ドルを手にした子供がいるという話も残っていると聞く。しかし、大変危険な場所で、ゴミを運んできたダンプカーに巻き込まれて死んでしまった子供もいるらしい。

Kumaeの工房の一角には、これまでの歩みが写真とともに飾られている。その1枚に、山勢さんが多くの浮浪児達と一緒にごみ山で働いている写真があった。彼によれば、1か月間、ごみ山で一緒に働いてみたのだと言う。

彼に聞いてみた。「ごみ山で1か月の間一緒に働いてみて、そこで得たものは何なのか。」彼は、ごみ山のことをよく知れたことに加え、得たもので最も大きなことは、「信頼関係」だと言った。ごみ山でできた仲間たちが、それ以降事業を始めてからも、「あのTakuyaが事業をやるのだったら」と、手伝ってくれたし、広げてくれたと語ってくれた。

彼は、ごみ山で働く人たちに「なぜごみ山で働くのか」と聞いたが、「職がないからだ」と言われ、そんなことはない、意地でも探してやる、なければ俺が自分で作ってやる、と考えたことが、今の事業を創ったと言っていた。

ちなみに彼の今現在の夢は、カンボジアでプロのサッカー選手になることだという。モチベーションは自分の中にしかないことに行きつき、高校卒業後サッカー選手になろうと思っていた夢をあらためて思い出したと言う。

バナナペーパー事業も100%、サッカー選手も100%の200%でやれると力強く語っていた。彼とフットサルでご一緒させていただいたシェムリアップの夜は、私にとってもちろん、忘れられない夜になった。

難民として日本で生き抜いて、今は「カンボジアの教育に情熱を捧げる」バイヨン中学、チアさん

カンボジアに来なければ出会えなかった、そして、カンボジアに来て出会えて本当によかった、と心から思える人達に、数多く出会えて、対話の機会を持てた。こうした一つ一つの機会は、GIAリーダー参加者にとって大きな財産になった。私にとっても財産となる出会いはたくさんあったが、間違いなくそのうちの1人は、シェムリアップでバイヨン中学を運営しているチアさんだ。彼の生き様とリーダーシップからは、大きな刺激をもらった。

彼は、私財を投じてバイヨンという名の中学校を作って経営し、500人ほどの生徒を集めて教育現場の運営に力を注いでいる。そして、自らが学んで素晴らしさを分かっている日本式の教育をカンボジアの現場に導入している。例えば、「体育」がないので、1年に1度は運動会を設けて地域の人達にも参加してもらっている。「音楽」の授業がないので、音楽クラブを作って、生徒が楽器を演奏したり歌を歌ったりする場を提供している。

カンボジアでは、ポルポトに大量殺戮されたせいで先生が不足している。先生は、午前中に中一生を教えたら、午後には中二生を受け持つといった体制なので、生徒も半日しか学校に通えない。従って、主要教科以外の体育や音楽や図工といった教科が存在しないのだ。
日本語がとても流暢で、聞くと、日本で大学まで卒業したという。ただ、彼の生い立ちを聞いて言葉を失った。お父さんとお兄さんは、ポルポトに殺されたという。10歳の頃に、お母さんが尽力してくれたおかげで、1人でタイの難民キャンプまで逃れたという。お金を「金」に替えてパンツの紐や草履の間に縫い込んでくれて、それを使って何とかタイまで辿り着いたのだという。その後、日本に難民としてやってきて、中学、高校、大学と日本の学校で学んだという。

カンボジアの大きな社会問題の一つである教育に情熱を傾け、そして、自分自身が学んだ日本式の教育を提供することで、カンボジアに貢献しようする姿には頭が下がる思いだったが、1つ質問させてもらった。「カンボジアの教育の方が日本より優れている点はないか」 チアさんは、「いじめがないこと」と答えてくれた。彼自身は、日本に難民としてやってきた後、日本の中学校・高校でひどいいじめにあったという。カンボジアでは、いじめはない、少なくとも自殺するようなことはないと言う。周りに関ずりあっている暇などない、自分のことで精いっぱいということもあるのだろう。家族やコミュニティのつながりが深く、学校を辞めやすいということもいじめを防ぐ要因かもしれない。

カンボジアに来て、日本の社会問題も同時に考える機会ももらった。 それにしても、チアさんは、これまでの境遇に負けず、そして今はこれだけのことにエネルギッシュに邁進しながら、「周りが助けてくれる、いつも感謝しかない」、と口癖のように言っていた姿が、目に焼き付いている。