GIAリーダーシップ・プログラムレポート(第1章)

PFCは、フラッグシップ・プログラムとして、「GIAリーダー・プログラム」をこれまでスリランカで10年に亘って毎年行ってきました。今年は、日本国内で行うフェーズ1が始まった矢先にスリランカでテロが起こったために、行先を変更せざるを得ないという大きなハプニングに見舞われましたが、スリランカに代わる実践地をカンボジアと決め、先日、カンボジアでのフェーズ2が終了し、皆無事に、とても充実した数々の体験の思い出と共に、そして、各人心の中に芽生えたリーダーとしての成長の種を伴って、日本に戻ってきました。

研修のプログラムとしては、まだ、振り返りや成果発表を行うフェーズ3を残していますが、カンボジアでGIAリーダー達が体験した旅の様子を、今回引率同行したPFC代表の松村卓朗がお届けします。

第1章:「カンボジアの今・昔・未来に触れ国の概要や構造をつかむ」

GIAリーダーのカンボジアでの旅のテーマは、大雑把に言って3部で構成されている。
序盤:「カンボジアの今・昔・未来に触れ、国の概要や構造をつかむ」
中盤:「農村でのホームステイ体験を通じて、経済格差を考える」
終盤:「個人の問題意識に沿ってペアで様々な組織・人を訪れ対話し、社会課題解決のための仮説を練る」の3部だ。カンボジアに着いてからの序盤の4日間は、首都プノンペンに陣を張って、「カンボジアの今・昔・未来に触れ、国の概要や構造をつかむ」というテーマに則り、以下のような活動を行った。

・今:SEZ(経済特区)の視察と意見交換

・昔(現代史):トゥールスレン虐殺博物館、キリングフィールド訪問

・昔(古代史):国立博物館見学(現地在住の民俗学研究者による案内)

・未来:カンボジア人起業家達との夕食、大学訪問を通じたカンボジア人大学生達との対話

ここでは、いくつかハイライトで紹介しよう。

縫製工場の現状と働く女性を取り巻く課題

プノンペンの経済特区(SEZ)には、数々の工場が立ち並んでいた。

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その一角にある、6年前に設立された5000㎡のL社の工場を訪問した。インナーウエアを縫製しており、ここで作られた製品は100%日本に輸出しているという。社員数は400人を超えている。工場を一通り見せていただいた後、日本人は自分1人だという、日本から赴任してきた社長のAさんに話を伺った。

彼の話を伺っていると、この国がまさに今形作られていっている様子や、国が抱える課題が典型的に表れる一端を、垣間見れる気がした。

カンボジアに進出した2013年当時、国が設ける最低賃金は80ドルだったが、国は3年凍結の約束を反故にし、あれよあれよという間に2019年現在は182ドルと倍以上にまで上がったという。この工場で働くワーカーは残業込みで平均280ドルほどの収入を得ているということだった。

今はもちろん18歳以上しか採用していない。しかし、先般、保険を導入した際に、創業当時に提出してもらった身分証明書が借り物だったために、照合できない人がたくさん出たりもしたという。逆算すると13歳から働いていた人もいて、結果的に18歳になっているので引き続き働いている、というような笑えない実話もあると教えてくれた。

採用においては、学歴のハードルを設けたいところだが、例えば「中卒以上」とすると人を集めるのは難しいという。だいたい小学校2年生くらいまでは皆確実に学校に通っているが、その辺りからちらほら退学者が出る。識字率でいうと、ワーカー全体の3割程度は覚束ない。従って、指示書は文字が読めなくても大丈夫なように工夫していると話してくれた。

国がワーカーを守るために整備した法令は非常に手厚いもので、例えば、「妊娠している女性は、20分早く帰ってよい」「ワーカーは産後、勤務時間中に授乳時間を1時間とれる」などといったものも順守しているという。ただ、ほとんどのワーカーは子供や家族と離れてプノンペンに働きに出てきているので、せっかく整備した「授乳室」を我々も見せてもらったが、そこはまだ誰も使ったことがないと言っていた。

こうした法令順守のみならず、離職率を下げるための工場独自の工夫も欠かせないという。特にワーカーの引き留めは、インセンティブより福利厚生だと語っていた。昼食の給食支給は当然で、今では朝食も支給しており、実に6割のワーカーは朝食を会社でとるのだという。

国の法令の整備に加え、会社の福利厚生も充実していて、従業員にとってとてもいい会社だと思った。しかし、実は訪問後私が最も気になったのは、そもそも子供がいる女性が子供と家族を実家に預けて出稼ぎにいかないといけないという社会の状況そのものだ。

日本では、かつて「女工哀史」と呼ばれた時代を経験したのを思い出した。ただ、あの頃働いていた女性達のほとんどは結婚する前だったので、それはそれで別の問題があるが、少なくとも、子供や家族と離れて働くということが問題の中心にはなかった。現代社会においては、18歳までは働かせられないが、働ける年齢となったワーカーを雇うと多くの場合、必然的に子供や家族と引き離すことになる。表面的には女工哀史と同じように見えたが、構造的には全く異なる問題が生じていることを認識した。

ポルポトによる知識層の虐殺が社会に落とす影

GIAは、“ハードシップ”体験を1つのコンセプトにしている。即ち、価値観を揺さぶられるような体験が、リーダーシップ開発には欠かせない要素だと考えている。序盤のプノンペン滞在中に行った、トゥールスレン虐殺博物館とキリングフィールドへの訪問は、参加者誰にとっても間違いなく価値観を揺さぶられるような、ハードシップ体験になったことと思う。私自身も大きな衝撃を受けたし、訪問後しばらくは、参加者の皆さんの誰からも言葉が発せられない時間が続くほどだった。スリランカで25年続いた内戦が終わった北部地域ジャフナを訪ねたときにも、家の屋根が吹っ飛んだ壊滅状態の街並みをバスの窓から皆が眺めるだけで、誰からも言葉が発せられない時間が続いたが、そのときにも勝るとも劣らないほど、胸が締め付けられるような苦しい時間を過ごした。

ポルポトは、原始共産制の社会づくりを目指した。その過程でポルポトが殺戮した人間の数は、実に数百万人、国民の約1/4にものぼったという。知識人階級は拷問の標的となり、医者や学校の先生などは元より、文字が読める人や、終いには眼鏡をかけているだけで連行され殺されることもあったという。ポルポトが同胞に行ったことの凄惨さを、実際に行われたその場所に足を運んで、ヘッドセットの解説を通じて極めて具体的に詳細に知るというのは忘れられない体験となった。それは、わずか40年前に起きた出来事であり、同じアジアの隣国で行われていたということも改めて認識し、胸に去来したのはとても消化しきれない複雑な思いだった。

これまで知らなかったことで、個人的に特にショックだったのは、側近の兵士達が13歳以下の子供たちだったということだ。徹底的に洗脳して戦力にしていた。これは、最近イスラム国が行っていたことで大きなニュースとして伝えられ、多くの人が衝撃を受けた現象ではないか。

これまで知らなかったことを知って、伝えていく責任が私には生じたと思った。トゥールスレンもキリングフィールドも、おそらく、家族旅行でカンボジアを訪れていたら絶対に行かなかった場所だったと思う。だからこそ、家族に、子供たちに、何をどう伝えていこうかと、この日からずっと逡巡することになった。

ポルポトもこの国のある時代を担った、リーダーの一人だ。そう考えると、リーダーシップにとって、価値観ほど重要なものはないとあらためて思う。私が自分で見聞きしたことを、私自身の言葉と表現で工夫し、私の価値観と共に伝えていく。

この後、この国では、どこに行っても、誰と話しても、必ず行き着くのは「教育」の問題、即ち人材基盤の弱さに起因する問題だった(と感じた)。そして、ポルポトのことはたとえ話題にのぼらなくても(実際話題にのぼることはほとんどなかった)、“知識層”がごっそり失われたことの影響の大きさと、“向上心”を持つことに対する一抹の不安といったものが、この国では社会に何か大きな影を落としていると感じざるを得ない瞬間は多々あった。

手起業家や大学生から見えたカンボジアの未来

プノンペンでの3日目の夜、若手起業家を囲んで楽しい夕食の時間を過ごした。2人のカンボジア人起業家を簡単に紹介しよう。

1人目は、「Silk House」のバナリー・サンさん。

彼女はカンボジアの伝統的な技術を用い、カンボジアシルクやコットンをベースとしたエシカルなハンドクラフト製品や洋服、スカーフ等を製造・販売している。彼女は15年前、外資系のファッションデザイン会社のマネジャーを務めていたが、「カンボジア市場の多くは、海外の人によって作られている。」という疑問を抱いて、起業したと言う。

「食品もベトナムやタイからの輸入がほとんどだし、縫製業をはじめとする製造業も外国資本が多く、そして、ファッション業界だってブランドを海外の人が立ち上げる。そして、それが当たり前だ、と多くのカンボジアの人々は受けて入れているように感じ」て、ハンドクラフトのビジネスを始めたのだという。

続いて今は、国内シルク産業の衰退に歯止めをかけることに挑戦している。

カンボジア国内で生産されるシルクは年間約10トンだが、400トンものシルクを中国等から輸入している。これは、約2千万USドルの外貨が海外へ流れていることを意味する。その結果、カンボジア国内の繊維業は衰退し、国内のシルク生産者が減るだけでなく、携わっていた人々(特に多くの女性)は、隣国に仕事を求め移り住まなければならない状況をも生み出している。そこで、この課題解決のためには、「カンボジアシルクの価値」を広く伝えていく必要があると彼女は考えた。そして体験型観光施設「Silk house」を先月開設し、”made in Cambodia”のシルクの素晴らしさを伝える挑戦を始めたのだと語ってくれた。

もう1人は、セイング・ダラリークスミーさん。笑顔があまりにも素敵なので、私達はいつしか「Smileさん」と呼ぶようになっていた。

彼は、「HEALTHTIME」という医療系のアプリケーションソフトを運営するベンチャーを経営している。患者がアプリで患部の写真を送ると、初期診断し適切な医療アドバイスをするサービスだという。

カンボジアでは、医者や病院も不足している。ポルポトのジェノサイドによる影響も大きいはずだが、さらに経済格差から、特に農村部では、病気や怪我の際に行ける病院は近くにはないし、多くの人は簡単にかかれる状況にもない。

後日、私が農村でホームステイをしたお宅では、ご主人がその日バイクの転倒事故にあって帰宅した。近所の人たちが集まってきて、寄ってたかって「タイガーバーム」という塗り薬を患部に塗り込んでいた。後で聞くと、このような風景はカンボジアの至る所で見られるらしい。しかし、骨折のような外傷はもちろん「タイガーバーム」で直るわけではなく、結局35kmも離れた病院まで、真夜中バイクの後部座席に乗せられて出かけて行った。Smileさんは、こうしたカンボジアの遅れた医療の状況を、スマホの通信網とITの技術で、一気にアップデートしたいと考えていた。

彼の経歴も聞いてみたが凄かった。高校時代は国際数学オリンピックに出てメダルをとるほどだったが、大学では法学部に進み、関心を持ったヘルスケアの業界に進んで、起業して今に至ると言っていた。英語も流暢で、どこか外国に出れば大いに活躍できるはずだが、自分の豊かな才能は、カンボジアの社会の課題を解決することに活用すると決めているそうだ。

首都プノンペンから農村地域のコンポントムに移動する日の朝、カンボジアを代表する大学の一つであるパニャサートラ大学を訪問した。授業が始まる前の時間をもらって、10人ほどの学生達と意見交換した。

出てきてくれた学生たちは、皆、目がキラキラと輝いていた。彼らとの対話で、我々も大きなエネルギーをもらった。

印象的だったのは、「将来どのような職業に就きたいか」と問うた際、数人の学生が「NPOで働きたい」と答えたことだ。先進国では最近、一流大学の卒業生達の人気の就職先がNPOだという話を聞いていた。ここカンボジアでも同じだ。会社で出世を目指すことよりも、もっと社会に貢献したい、と考える若者が増えているということだろうか。ただ、ここにいるような、大学で学べる人達はカンボジアではほんの一握りだ。小学校や中学校を中退する人達がまだまだ後を絶たない。

プノンペンで過ごした序盤の4日間だけでも、カンボジアには社会課題が山積みだと感じた。しかし、その社会課題解決に挑戦しようとする、若い力とも接することができた。

先に紹介した「Silk House」のバナリー・サンさんも、「カンボジアの伝統のシルク産業を、未来に残したい、伝統産業をただ知ってもらうだけでなく、次の世代に残したい」と言っていた。だから、自分が力を注いでいる対象は、単にシルクということでは決してなく、「カンボジアの未来に残るもの」だと語っていた。

(第2部に続きます。お楽しみに!)