差別は、知性があるがゆえに生まれるもので、また、組織への帰属愛の裏返しでもある~グローバル組織開発コラム(4)

matsu_seminar(このコラムでは、グローバル組織開発に関する身近な話題を提供していきます。PFCのコンサルタントが不規則に担当します。)

第1回『ダイバーシティを推進する日本企業の現在地』はこちら
第2回『グローバル人材に必須の“英語を話す”力を高める唯一の方法(テストのウォッシュバック効果)』はこちら
第3回『グローバル化の促進を阻む大きな要因は、幹部の無意識の思い込み』はこちら

先日二十数年ぶりにアメリカのLAを訪れた。
向こうで過ごした数日間、物価が高くなっていること(いや、日本のデフレが長く続いているというべきか)には驚きっぱなしだった。しかしそれ以上に驚いたことは、メトロ電車・地下鉄が充実していたことだ。二十数年前に行ったときは、確かすべての移動をバスかタクシーで行った記憶があり、LAは広大で車がなければ何もできない社会と思っていた。しかし、近年、電車・地下鉄が急速に整備され、ハリウッドやユニバーサルスタジオはもちろん、サンタモニカにまでも電車で行けるようになっていたことには、隔世の感を禁じ得なかった。
それでも、聞くと、当然車社会ということは変わらず、メトロ電車・地下鉄を利用するのは車を買えない最下層の人達ということだった。従って、特に夜間に利用する際には治安に注意しろということは様々な人から言われた。しかし、地下鉄はやはり、私のように海外から来た観光客にはこの上なく便利だったし、何より、その土地で生活している人達の文化にわずかでながらでも触れることができるので、海外に行ったら必ず行く場所の1つだ。

東京の地下鉄になくて、LAの地下鉄にあったものは、折り畳んでもいない自転車で乗り込んで来る人達だ。先ほどまでスケボーを小脇に抱えていた人が、入ってきた電車に間に合わせるために、ホームでスケボーを走らす姿もよく見た。それなのにほとんどの駅のホームには係員はおらず、何とも自由と自己責任が徹底していると感心してしまった。
一方、東京の地下鉄にあって、LAの地下鉄になかったものは、ホームで車椅子を電車に乗り降りさせている係員の姿だ。どの駅でも、車椅子の人は一人でホームにやってきて、段差や隙間がないので電車にも一人ですっと乗り降りしていた。
もう一つ、駅のホームに設置されている、次のようなことが書いてあった看板も、日本では見たことのないものだった。
「メトロは、公民権法に従って、人種、皮膚の色、出身国に捉われずに事業を行っています。さらにメトロは、性別、年齢、障害、宗教、医療的な状態、結婚状態、性的指向、あるいは州法または連邦法に記載のその他のプロテクティッド・クラスに基づく差別を禁止しています。不法な差別待遇を受けたと思う人は、誰でもメトロに対して苦情を提出することができます。」
しかも、英語以外にもいくつもの言語に丁寧に訳されている。英語の下に、スペイン語、ポルトガル語、日本語、中国語、韓国語、ロシア語、アラビア語などの訳が続いていたので、大きな看板1枚になるほどだった。
これまでの歴史の中で、自分と異なる集団に属す人に対して、例えば「同じ電車に乗ってくるな」と言うような差別が、よほど繰り返されてきたということの証に私には見えた。

アメリカにいると、否が応にも、差別ということを考える機会が増した。この滞在期間中に、つらつらと考えたり文献を読んだりしていて、2つのことに思い至った。ちなみにその2つに共通することは、差別とは、必ずしも心無い人が行うものではなく、人間の脳にプログラミングされた、極めて自然な現象であるということだ。
1つめは、差別は、人間に知性があるがゆえに(その知性が神のように完全ではないがゆえに)生まれるということだ。人間の脳は、自分の常識とは異なる常識に基づいて生きている人々を蔑視したり、敵視したりしてしまう。これを脳科学では、「知性の脆弱性」によるものとされていると聞いたことがあったので、あらためて調べてみた。
知性とは、想像力、そして損得を判断する能力のことだ。いかに餌をうまくとるかなど、自身が利益を得るために知性は必要不可欠であり、知性があるおかげで、人間は「個」として生き残れることができる。
差別に関して言えば、知性がなければ、自分の常識とは異なる常識があることを、想像することも、理解することも難しい。
一方で、人間が「種」として生き残るためには、知性の働きをある程度弱くする必要があり、ヒトはそのように作られているというのだ。種の保存のためには、知性はマイナスに作用する。例えば女性の場合は、出産することで自らの命を危険にさらすことさえある。男性にとっても、自分の自由になるお金も時間も減り、責任が重くなり、損得勘定では決してプラスとは限らない。合理的な判断力を低下させなければ、ヒトは、種を残すという個体の生存にとって不利益になる行為ができない。従って、恋愛は知性を麻痺させている現象だと、脳科学の世界では定義されているというのだ。
差別に関して言えば、知性が脆弱なせいで、誰もが差別意識を自然に抱くようにできていると言える。

思い至ったことの2つめは、差別とは、自分が属す集団や組織への愛の裏返しでもあるということだ。トランプが大統領になり、彼の主張を支持するアメリカの社会を見ていて、パトリオティズム(自分が属する集団を愛する気持ち)の強さも同時に感じていたが、今回の滞在では、実感を持ってそう認識した場面も少なくなかった。
自分が帰属する集団を大事に思う気持ち、家族を愛する気持ちや、あるいは“ふるさと”“おらが村”を愛する気持ちを持つのは自然なことだ。組織への帰属愛が自然なものなら、その裏返しとしての差別意識もまた、同じように脳の働きから生まれるもので、元から人間にプログラムされたものだという。
脳科学の世界では、「内集団バイアス」というらしい。自分が属する集団をひいき目に見るということだ。これにはメリットもある。集団内の「協力」をプロモートすることだ。人間の体や能力は完全なものではない。例えば足は遅く、猛獣に追われたら逃げおおせることはできない。人間は集団となって協力することでこの不完全さを補ってきた。集団となって協力する方が農業などのプロジェクトを進める際にも好都合であり、従って、集団となって協力する人々の方が生き残り、子孫を残してきた。
内集団バイアスにはオキシトシンという脳内物質(「幸福ホルモン」と呼ばれることもある物質)が影響しているという。これが働くと、対象に対する愛着が増すのだという。一方で、集団外に対して敵対心を生み、集団内でも偏見や妬みが増すネガティブな影響があることも分かっているらしい。こうしたネガティブな影響が、今、アメリカではもろに表出したと言ってもよいだろう。
(参考:「脳内麻薬」中野信子 幻冬舎)

グローバル組織開発が目指す一つの世界観は、まさに、LAの地下鉄の看板に書かれたような、差別のない、各人がその能力と個性のみによって判断され、各人の力が存分に発揮される組織で運営されることだ。
そのためには、差別がなぜ起きるのかを、我々はよく理解しておく必要があり、個人的にはこの度、とてもよい機会になったように感じている。
しかし、人間が「人間らしい知性」を持つことも重要だし、「内集団バイアス」がもたらすメリットも、非常に大きいだけに、なんとも悩ましい話だ。

(松村卓朗)